写像(2023/03/21)

 きょう、モチヴエシヨンが死んだ。もしかすると、この記事が投稿されるころには、昨日のことになるかもしれないが、今の私にはわからない。
 人生にはきっと、サイクルという運命を分解したその先にある何かがあるのだろう。経験則だ。それらの規模の大きさは個々によって異なるが、今回は2日という結果だった、それだけなんだろう。そしてそれと同時に11月のサイクルも迎えて、結果、今現在の私は3月に一度ある強さの精神不安を抱えているわけだ。
 冷や水を全身に浴びるほどにかけられてからというもの、どうも今回の疾患は病状を悪化させたように思えて、一度は睡眠と、リセットをかけてみたものだが。いつものことであるが、どうしてこう、経験を糧とすることができないものかな。

 どうも私は、太陽という言葉あるいは存在が嫌い……、ヒトらしく言えば苦手なような気がする。それは4年ほど前から続いているので、もしかしなくても当時気が触れていた私と彼との関係が起因しているのだろうとふんでいる私……。
 思い返せばそこは蟲毒なんだろうと、私はその1/3を振りかえってみる。そしてその蟲毒コロニーを脱出したとて、持ち込んでしまった脳ミソの性質からか、また新しい蟲毒コロニーへと、私は向かってしまうのだ。計三度行われているから、もう慣れてしまったもんだと、悲しい気持ちになる私……。

 今から半年か、もっと最近か、それとももっと前か、よくわかりはしないが、ゴキジェットでゴキブリを殺したときのそれが、フラッシュバックしてたまらない。だんだんと死にゆくゴキブリが、ひっくり返ってどこに行くでもないまま、その手足をバタバタとさせ身体を捩っていたことが。それまではどうも象徴として嫌悪していたゴキブリが、生への執着を見せつけてきたその時から、一生物としてのゴキブリとして、生の一単位として私の脳内へと居を移したから。だから何だという話である。いつも通り、意味のない話だ。

 適当に言葉を並べているこの記事は、前よりも統一された意識によって書かれているから、きっと今年一と呼称される精神不安には至っていないのだろうな。事実今、コーヒーを飲んでいないのにこれを書けている。それは、他者にはじまりをゆだねた、不安定さの象徴とよべる何かではいないから。